■「余白を楽しむ時間」
この前、黒電話の話をしていたときに、ふと気づいたことがありました。
あのダイヤルを回して、「ジー……」と戻るまでの時間。
あの一瞬の静かな時間が、私はとても好きだったなと。
急ぐことのできないその“待ち時間”が、なんとも言えず。
それこそ、こういうのを愛おしい時間と表現するのかもと思たり‥

今思えば、あれは「余白」だったのかもしれません。
余白、余韻、余生、余暇。
「余」がつく言葉って、どこか静かで、やさしくて、そして自由な気がしませんか。
「休暇を楽しむ」よりも、「余暇を楽しむ」と言った方が、
なんだか“自分の時間を生きている”って感じがする。
余分、余裕、余力、余談、――
どれも、与えられたものではなくて、
“自分で持っているもの”というニュアンスを含んでいる気がします。
そう思うと、「余」がつく言葉には、どこか主体性があるのかも。
慌ただしい日常の中で、ほんの少しの「余」を大切にすること。
それが、きっと私にとっての「豊かさ」なんだと思います。
余白が欲しくて、余白を作り、余白ができたからこそ
このブログも書けている
だから最近充実してきてる気がする。☺️