「余白」のある暮らし

空間と習慣

この前、黒電話の話をしていたとき、ふと思い出した光景があります。

ダイヤル式の電話

番号に指をかけて、ぐるっと回す。

そして、手を離すと、“ジー……”と音を立てて、ゆっくり戻っていく。

あの「待つしかない」数秒間。

実際には何も起きていないのに、私はあの時間がとても好きでしたねぇ

音がしているのに不思議と静かで、

流れているのに、止まっているような。

ただ、そこにいるしかない――待つしかない

そんな瞬間に、私はなぜか心地よさを感じていました。

今になって思うと、

あれは「余白」だったのかもと。



何かを詰め込むための空白ではなく、

“何もしないこと”を与えられているような?

「余白」って、ただの空いた時間ではない感じがします。

自分の意志で過ごす、静かな時間というか。

「余韻」「余生」「余暇」……

“余”のつく言葉には、どれも心にゆとりをもたらしてくれる響きがあります。

たとえば「休暇」は与えられるものという印象がありますが、

「余暇」には、自分で選び取る時間という凛とした感じがありませんか?

「余談」や「余裕」だって、

どこかに“選べる余地” ”主体性”のようなものを感じさせてくれます。

「余白」もまた、何かを手放した結果として生まれるのではなく、

むしろ、心と時間にゆとりを持たせる“選んだ結果”なのかもしれません。

たっぷり働いて、きちんと休んで、静かに整える。

そのリズムの中に、そっと「余白」をしのばせることができたら、

暮らしはもっとやわらかく、穏やかなものになっていく気が…。



そうは言っても私の冷蔵庫は、ぎゅうぎゅうです。笑

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